「解約したばっかりなのに・・・」~実際の生保事例02~

定年退職と生命保険

生命保険の解約後に病気が見つかった

私は職業柄(看護師です)、病気だけではなくて患者さん達の懐具合も、時には見えてきてしまうことがあります。
治療というのはどうしても、その人の経済状況によっても左右されてしまうものだから。
もっというと、通院すること自体が、その人のライフスタイルに入り込む必要があるから。

数年前、私が外科の外来についていたときのこと。
消化器内科からコンサルトされた65歳の男性がいました。
その男性、Sさんの病気は大腸癌。
大腸内視鏡検査で大腸癌と診断され、オペの適応があるのではないかということで、外科に話が来たのです。
それまでに消化器内科で行って来た内視鏡検査、その際にとった病理組織の結果、CT、エコーなど、もろもろ判断してオペの適応があるとのことで、予定を組みました。

消化器内科では、診断をつけるための検査までしか行いません。
オペが適応だろう、となってもそれで検査が終わるのではありません。
全身麻酔の手術になりますから、呼吸器や循環器の問題はないか・・・など、術前検査は多岐にわたります。

術前検査はとても1日ではできないので、数日かけて外来に通ってもらって行うことになります。
(昔は術前検査も含めて全て入院して行っていたのですが、今は術前に入院することはよほどのことがない限りありません。)

そこで、私が呼吸機能や肺のCT、注腸(腸の走行をみる放射線検査)、24時間心電図などの検査の予定を組むことになりました。
これだけの検査を組むので、2~3回の来院が必要になります。

その日の帰りにやって終わるもの、1回目で行う検査、2回目で行う検査、全ての結果がそろった時の結果説明の日時を組んでいきました。
必然的に、平日の日中という病院の都合に合わせて来院してもらうことになりますから、仕事をしている人だと大変。
手術での入院で休みをとらなくてはならないから、できる限り術前に休みはとりたくないと言われてしまいます。

60歳で仮に定年退職していたとしても、65歳の年金支給開始までの間再就職する人もいます。
70歳を過ぎても、年金で足りない生活費のためだったり、やりがいだったり、後継者不足で働き続けている人もいます。

そういったライフスタイルを考慮して検査を組む必要があるので、どうしても仕事をしているか・休みは何曜日か・勤務時間は何時から何時までかなど、結構踏み込んで聞いていくことになります。
最近では女性の場合、「孫を預かっているので・・・」という理由を聞くことも多くなりましたね。

さて、話は戻ります。
Sさんに検査の予定を話し始めたところ、どうも何か言いたげというか、そわそわし始めました。
どうも、手術の前にまだこれだけの検査が必要になるということに驚いた様子。
もっというと、便に血が混じると軽い気持ちで受けた大腸の内視鏡検査で癌が見つかり、その時の病理結果を先ほど聞いたばかりで外科にまわされ、まさか手術になるとは思っていなかった様子。

癌という診断だけでも衝撃なのですが、そこへこれから手術をするから検査を組みますと現実的なことを言われても、受け入れられないことは実はよくあるケースです。
今回もそのパターンかなと思い、手術を受けるとなるとこういう検査が必要になるし、こういう流れになると思いますよ・・・と今後について説明したところ、Sさんがポロリとこぼしました。
「先月、生命保険解約したばっかりだったんだ・・・」

・・・。
何と声をかけたらいいか、一瞬考えてしまいました。
看護師としてというより、私自身が同じ状況だとしたら「ガーン」「ショック」の一言でしょう。
これから検査に入院に手術に、その後抗癌剤治療・・・。
どれだけのお金がかかるでしょうか?

Sさんが生命保険解約後に大腸癌という診断を受けたのは、必然と言えば必然でした。
Sさんは65歳の誕生日まで働いていましたが、定年退職したことでこれからは年金暮らしだし、支出を減らそうと考えたそうです。
2人の子供も成人しているし、お金を残す必要もないだろうと思い、まず生命保険を解約しました。

生活費を削減するには、毎月の固定費から・・・とは、よく雑誌の家計診断でも載っていますよね。
その固定費削減の最初に挙げられるのが、生命保険だったりします。
Sさんが誰かの助言を受けたかどうかはわかりませんが、セオリー通り保険の見直しをして、解約したのです。

一方、以前からたまに便に血液が混じるのが気になっていたSさん。
働いていたときには難しかった平日の日中の受診が、定年退職によって可能になり消化器内科を受診、大腸の内視鏡検査を受けたのです。
そして、病理検査で大腸癌と診断された・・・というわけです。

その話を聞いて、なぜ長年かけていた保険を解約したばかりだったのかがわかりましたし、検査説明をしようにも気がそぞろという理由もわかりました。
本当なら、がんと診断されて一時金がもらえたはずだったし、手術や抗癌剤治療で入院すれば、日額いくらという決まった金額がもらえたのです。
今までせっかくかけていたのに・・・ショックとしか言い表せません。



定年退職後、年金暮らしで治療費をどうするか?

実は近年、手術による入院日数はかなり短くなっています。
上でお伝えした通り、術前の入院はひどい糖尿病などがない限り行いませんし、術後も早々にリハビリを開始して外来通院にもっていきます。
これは、国で進めている方針なので、どの医療機関においても同じことです。
長く患者さんを入院させればさせるほど、病院側の持ち出し、つまり赤字になるような医療制度になっているのです。

Sさんも、術前検査を外来で受け、術後の経過は良好で食事が食べられること・排便のあることを確認してから退院となりました。
そして、外来で抗癌剤治療を行うことになりました。
そう、癌というのは深さや範囲によって、手術して終わりではないのです。

抗癌剤治療というのは、皮下に埋め込むポートというものを作ってしまえば、あとは決まった日にそこから特別な針と機械を付ければ、自宅で1時間あたり2mlとかのごく少量の抗癌剤を持続注入することができます。
つまり、この方法ができる抗癌剤治療の場合、入院の必要がないのです。

Sさんの場合は保険を解約してしまったので、外来通院でできる抗癌剤治療はありがたいものでした。
しかし、それすらもやはりお金がかかります。
高額療養費制度があるじゃないか、という声が聞こえてきそうですが、充分な貯金のない状態で年金暮らしの人が毎月限度額まで払い続けることは、かなりの負担です。
(Sさんは競輪が大好きで、貯蓄がなかったようです)

それなら生活保護を受ければ?
そう思うでしょうか。
確かに、生活保護を受ければ医療費は基本的にかかりませんから、その道を選ぶ人もいます。
しかし、Sさんには持ち家がありました。
長年暮らした持ち家と、通院や生活手段となる車を手放して生活保護を受けることは、最後の最期の手段です。
それに、Sさんはその家を息子と娘への遺産にするつもりでいたのです。
子供さん達はそれぞれの暮らしがあるのでその家に住むことはないだろうけれど、現金がない分、自宅を売却してもらってそのお金を遺してあげようと思っていたそうです。

そうなると、生活保護は受けられない、限度額までの治療費はかかる、生命保険での治療費の補てんもない。
定年退職後した上に抗癌剤治療をしている最中に再就職することもできず、収入は年金のみ。

結局Sさんは、治療費の負担が生活にのしかかり、抗癌剤治療を途中で止めてしまいました。
抗癌剤治療そのものの治療費だけでなく、白血球が下がったり食事がとれなくなって入院してしまうと、その分も治療費が必要になるからです。

Sさんは離婚していて1人暮らし。
子供さんには、それぞれの家庭があるので迷惑をかけたくない。
長く生き伸びたところで、どうしようもない。
そういう思いもあったのでしょう。

結果として、抗癌剤治療を中止して数か月の間はむしろ調子が戻りました。
抗癌剤による身体への影響はとても強いので、中止したことで吐き気やしびれもなくなって食事が摂れるようになったためです。
しかし、病気は進んでいきました。

医師が説得して、効果は落ちるけれども内服による抗癌剤治療はどうかと、一時期はしぶしぶ内服薬での抗癌剤治療も行いましたが、結局それも経済的理由により断念。
Sさんは採血による腫瘍マーカーやCTなど、最低限の検査と治療だけしか望まなくなりました。

癌と診断され、手術をして2年ほど経過した頃でしょうか。
外来通院のときにタイミングが合わず、私が久しぶりにSさんを見かけたときには、全身真っ黄色の黄疸が出ていました。
本人も自分の状態を解っていましたが、金銭的なことや子供達へ迷惑をかけたくない一心で、ギリギリまで自宅で過ごしました。

そして最後の入院のとき、Sさんは自宅を片付け、車を処分し、葬儀の準備も自分で済ませてから入院してきました。
そのときには迷惑をかけたくないと言い張っていた娘さんと、まだ小さなお孫さんも付き添っていました。
歩くのがやっとで、孫を抱っこする力もないくらいでした。

入院して10日程経った頃、痛みと呼吸困難によって鎮静を希望され、そのまま眠りながら亡くなりました。
できる限りの治療をすれば、もう少し生きられた命だったかもしれません。
しかし、Sさんにはこうするしかなかったのです。

生命保険だけでなんとかすることはできなかったかもしれませんが、少なくとも入っていたときの癌診断給付金や入院給付金の日額5000円なり10000円なりがあれば、抗癌剤治療をもう少ししたと思うのです。
苦しい治療をギリギリまでして死期を伸ばすことは、本人の死生観が伴います。
尊厳死という言葉も聞かれるようになり、最期まで治療をし続ければいいというものではありません。

しかし、Sさんが治療を続けられなかった理由がそういった死生観や抗癌剤に身体が耐えられなくなったという理由ではなく、経済的理由だったことが私には悔しく思いました
医療資源も、個人の資産も限りはあります。
確かにSさんは長年の競輪によって、いざというときの貯えがなかったのも原因です。
でも、お金があったらあと数年生きられたと思ってしまったら・・・悲しいですね。

SさんにはSさんの考えがあったし、子供さん達も別れた奥さんの側に引き取られていたので、実は病気にかかるまでは連絡も取っていなかったという家庭の事情もあります。
しかし、お金があったら、保険を解約するのを半年待っていたら・・・そう思うと、やりきれないケースでした