
髭が必要となる場面とは…?
男の髭についてどう思っているだろうか?
カッコいい?
渋い?
むさ苦しい?
汚い?
私の髭に対する印象は、「とにかく厄介で面倒なモノ」だ。
髭に関する出来事はすべて思い出したくないような良くない記憶ばかり。定期的の剃らないといけない無駄さは、人生を損しているとしか思えない。
もし、私が髭の似合う男であったなら、髭に対するイメージは今とは全く違うものになるのだろう。
しかしそれでも、一般的な社会人であれば髭を伸ばしたままにできる機会などまずないし、程度の差こそあれど、誰もが髭剃りには悩まされているはずだ。
つまり、男であったとしても髭が必要となる場面はほぼない、ということになる。
「男に髭は必要ない」と結論付けても問題ないが、一応、髭の必要性を考えてみよう。
そうすることで、より明確に髭の不必要性が証明されるだろう。
限りなく少数でも髭賛成派の意見も取り入れておくことに意味があるかもしれない。
髭の必要な場面
以上である。正直、この他に必要な場面が一切思い浮かばない。
これらから、髭が必要なのは「非常に限定的な場面のみ」、つまり、ほとんどの男にとって「髭は必要ない」という結論でやはり間違いない、と言える。
髭はヘアスタイル並みに人のイメージを決定付ける
外国人に比べて、日本人は特に「童顔」の割合が高い。
そのため、髭を生やしていないと、子ども扱いされたりバカにされたりと軽い(舐められた)待遇をされてしまう(メジャーリーグに行った野球選手が髭を生やすのはこれが理由である)。
髭があるかないかで人の印象はそれほどに変わる。
海外では、髭が有利に働くことも多いし、髭は男にとってなくてはならないものなのかもしれない。
しかし、日本において髭は全く必要ない。
髭は、不衛生で粗雑な印象を与えるため「髭が生えているなんて論外」なほど厳禁な場合がほとんど。
髭が無造作に生えていると、よほど身なりに気を遣っていない限り「まとも」に見えることはなく、不信感・不快感を覚えてしまうだけなのだ。
『髪型は男の化粧』と言われるが、髭の場合は『髭は男の人生』と言ってもいいだろう。髭にはその人の人生が表れる。髭を生やし、それを認めさせるには相応の努力と環境が要求される訳だ。結局のところ、一般的な社会生活を送るうえでは、髭は必要にならない。むしろ、憎むべき存在である場合のほうが圧倒的に多い。
髭は永久脱毛するべき
これまで髭のせいで味わった精神的苦痛や時間的損失を考えると、憎しみの感情しか湧いてこないほどだ。
だから、私は髭を脱毛した。医療クリニックでのレーザー脱毛を試みた。
髭が生えてこなくなることに対する不安?そんなものは全くない。
髭が生えてこなくなってようやく私は、人生が始まったような気さえしたのだ。
男に髭は必要ない。
この意見に賛同するなら、後悔する前にヒゲ脱毛してしまおう。
髭は「百害あって一利なし」なのだから。