
動物に生えているヒゲの役割とは?
人間の男だけではなく、髭は動物にも生えている。
しかしそれは、「ヒゲ」であって髭ではない。
男の髭と言えば、邪魔で邪魔で仕方のないうっとうしくて面倒くさい物の代表のような憎むべき存在であるが、動物にとってのヒゲは彼らにとって欠かせない重要な役割を持つモノだ。
猫をはじめ、犬などの哺乳類に生えるヒゲのことを「洞毛(どうもう)」と呼ぶ。
口周りだけでなく、目の上や、前足にも生えている。
洞毛の役割
- 根元に神経があり、空気のかすかな動きや揺れを感じ取ることができる
- 空気を感じ取ることで、暗闇の中でも俊敏に動ける
- 細い道や狭い空間をスムーズに通り抜けるためのセンサーとなる
- 木の上などの高いところでも平衡感覚を保つ作用がある
- 前足の洞毛は、獲物を仕留めた際に、息があるかどうかを察知できる
基本的な構造は体毛と同じであるが、大きく違うのは、「神経が通っている」こと。
間違ってでも切ってはならないものなのである。
『髪の毛に神経が通っていた場合』を想像してみれば分かりやすいだろう。
一部の心ない飼い主に、見た目が悪いから、などというふざけた理由で、ヒゲを切られるペット(主に犬)も少なくない。
人間のエゴによって、本来の在り方を失われる動物は今後も溢れ続けるだろう。
今も多くの動物たちが人の手によって、絶滅させられまくっている…。
人間の髭は、なぜ洞毛になり得なかったのか
人間も哺乳類である。
だが、サルもヒトも洞毛は生えていない。
一説には、「指の先の感覚が発達し、洞毛の必要性がなくなったから」と言われている。
洞毛がなくなったことは進化なのだ、と生物学上はされているようだ。
にもかかわらず、髭はまったくの役に立たない邪魔者と化しているのは奇妙ではないか。
進化したのなら、これらにもきちんと役割がなければおかしいだろう。
本当に無駄なら、進化の途中で洞毛と同じように髭も無くなるべきであった。
今この現代社会では多くの男たちが、毎朝の髭剃りに決して少なくない労力を割いている。
髭が少しでも伸びていれば、まっとうな社会人として扱われないからだ。
これが世間一般の考える「髭」の印象である。
当たり前に生える髭に対して、なんて悲惨なイメージだろう。
猫のようにチャーミングな生え方をしていて、かつ、生活に欠かせない役割を持っていれば、こんなことにはならなかったはずだ。
髭剃りで肌を傷めて、嘆くこともなかったはずだ。
しかし、そうはうまくいかない。それが人間の髭である。
では、髭は何のために存在しているのだろう。
考えてみれば、男には、髭以外にもまったく必要性のないものが存在する。
たとえば…
胸毛を剃るときに一緒に剃り落としてしまった哀れな人もいる。必要ないけれど、痛みは感じるのだ…。
髭と乳首と体毛。
科学技術が発達したこの社会では、それらは進化に取り残された残骸である。
必要ないから、と捨て去ることができればいいのだが。
それが、洞毛を失い、髭という無意味なものを与えられてしまった原因なのだろうか…。
もし、髭が必要とされるならば
とは言え、髭はマイナスイメージばかりではない。
かつては威厳や権威を表すためには欠かせないアイテムであったし、今でも、個性を出すためのファッションとして利用されている。
人類の歴史を見てみると、髭の扱いに困っただろう事実がいくつも散見されるのは、気のせいではない。
だからこそ、髭を不必要なものとして完璧に排除することを目指すのではなく、有効活用していく未来を模索するべきなのではないか、と私は常々思っている。
そうすれば、余計な労力を割け、その分、新たな技術・科学の発展につなげられるはずだ。
少なくとも、自分の人生を充実させられる足しにはなるはずだ。
しかし、現実にはそうはならない。
会社の規則通りに毎日毎日律義に髭を剃るしかないのである。
今や髭は、男にとって「罰」でしかない。
人間のエゴが生んだ、「罪」によって、髭は罰と化してしまっている。
髭の歴史についてはこちら
髭がいらないものということは…
問題は、そのエゴが人間だけでなく、他の動物にまで影響を及ぼしている点だ。
いずれ、この尻拭いをする時が人類にも訪れるだろう。
だが、残念なことにツケを払うのは未来の子孫たちである。
今この日本で髭が不当な扱いを受けているのは、過去の人間が髭の存在についてまじめに考えなかったからだ。それが現在にも影響を及ぼしている。
本当なら、私たちはこれまでの髭に対するマイナスイメージを無くすべきなのだ。
ここで断ち切るべきなのだ。
もしかすると、髭が罰と化しているのは、ありもしない権威や権力をかざし、さも地球の支配者かのように振る舞ってきた人類に対する「皮肉」なのかもしれない。
『髭=不必要なもの』、すなわち、『髭の生える人間=不必要なもの』とね…。