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「無精髭」と名付けるほどではない
無精髭の「無精」とは、『精を出さずになまけること、面倒くさがること。また、そのさま。』という意味。
1日。 たった1日剃らなかっただけで生えてくる髭に対して、あまりにもな言い草ではないか。言葉そのものから、1年365日休まず毎日髭を剃ることを強制されているようにさえ感じる。
髭剃りは、化粧とは違う。
髭を剃ったからと言って、プラスに転じる訳ではないからだ。髭剃りをしてはじめて、ようやくまっとうな社会人として見られるのである。
一体誰が「無精髭」なんて名前を付けたか分からないが、そのおかげで現代人は毎日の髭剃りに苦しんでいるぞ。責任を取るべきであろう。
無精髭が似合わない
問題は、無精髭が似合わないこと。
多少、髭が伸びてしまっても、ワイルドでダンディな感じになれば、むしろ、髭があったほうが様になる。
しかし、多くの日本人男性が童顔で、たいていの場合髭が似合わない。
テレビやドラマで見る俳優やモデルほど髭に違和感がないのは、ごくまれなのだ。
日本人の多くが無精髭の似合う顔であれば、今ほど髭に対する圧力は少なかったのではないか、と思ってしまうほどに。
アメリカでは、ビジネスシーンでも髭は珍しくない。
髭の生えている男は、安心感や信頼感など「いかにも仕事ができる感」を出せるからである。また、顧客や商売敵に舐められないように、髭を生やして、威厳や落ち着きのある「大人の男感」をアピールすることも。
実にうまく髭という存在を活用しているのだ。
一方、日本のビジネスシーンで髭を生やすとどうなるだろうか。
「なんだコイツは!仕事を舐めているのか!?」
「常識知らずな奴め!社会の恥だ」
「なんだこの胡散臭い男は。注意すべきだな」
「何この人。サラリーマンなのに髭生やしてる…危ない人だ」
「うっわ!髭男かよ!この案件はナシにしよう」
などと思われるに違いない。
あまりにも不遇過ぎないだろうか。髭を生やしているだけで「不審者扱い」も少なくないというのだから驚きだ。
髭が似合わないというのは、日本において「罪」なのである。
髭に固執するあまり大事なものを見落とす日本社会
髭が生えるのは、男として自然な生理現象だ。
にもかかわらず、どうしてこんなにも拒絶されてしまうのか。
「髭が生える男そのもの」を否定されているようにすら思えてくる。
そもそも日本は、「コストパフォーマンス」や「機会費用の損失」という言葉を知っているのだろうか。
まったく生産性のない細かいクソみたいな事柄に固執しすぎているこの時代。
仕事、ひいては社会経済の回り方自体に無駄が溢れかえっているのに、誰一人として改善しようと思わない現状。
おそらく誰も何も考えることができないのだ。
小学校・中学校の義務教育で国が操りやすいように洗脳された日本人の精神は、生半可な方法では「自由」を獲得することはできないようになっている。
日本人ほど「自由が大嫌い」な民族は存在しない。
誰かに命令されなければ、みんなと同じでなければ、何一つ、自ら行動に移せないのだから。
集団とは少し異なるだけで「村八分」にされるようなこの社会が、決してまともに機能している訳がない。
その代表例が「髭剃りの強制」だ。
髭剃りを毎日しなければならないことによる機会費用の損失は計り知れない。このせいで、日本のGDPはどんどん低下していると言っても過言ではないというのに。
髭剃りの強制は、人生のコストパフォーマンスを著しく下げる行為なのである。
しかし、そのことには誰も気づかないだろう。
だから、少なくともあなただけでもそのことに気づいて、日本の意味不明な呪縛から解き放たれよう。
意識高い系とは、意識のない人間から見た場合である
「意識高い系」とは、前向きな志を持っていて自分を高めようとする人を馬鹿にするワードとして有名な俗語である。
が、何もやっていないただ周りに流されるだけの自我すら持たない意識のない人間が、「意識高い系」な人を絶対に馬鹿にしてはならない。
意識高い系を笑う人間は、確実にその人物より人間性が格下なのだから。
人が生きるうえで目標をもって頑張るのは当たり前、のことでありながら、誰も当たり前にできないからすばらしいのだ。
意識を高く持つことは大切。
でなければ、意識の低い人間に人生を邪魔されてしまうからだ。
周りの不快で低能な人間に隙を与えないためには、自分が精神的に充実している必要がある。
無精髭なんて生えていようものなら、奴らはすかさず人間性を否定しにくるだろう。自分のことははるか高い棚の上に置き忘れながらね。
しかし、毎日の髭剃りはとんでもない負担だ。肌にも精神にも。
そこで、私がぜひおすすめしたいのが、「ヒゲ脱毛」である。ヒゲ脱毛で、「無精」髭をなくそう
髭が似合わない&髭が濃い&肌が弱い人にとって、髭剃りは苦痛でしかないはずだ。
おまけに、無精髭が生えていることをわざわざ「他人」に指摘されようものなら、発狂してしまいかねない。
ヒゲ脱毛を行なえば、髭に関するありとあらゆる「罰」をなくすことができる。髭が似合わないことを心配する必要もないし、髭が濃いことを嘆く必要もなくなる。髭剃りしなくて済むので、肌を常にキレイに保てる。
この日本社会では、ヒゲ脱毛にはメリットしかない。
髭を剃ってもプラスにならないかもしれないが、ヒゲ脱毛すれば確実に人生そのものがプラスに変わると保証しよう。
何より、この腐りきった日本の前時代的な風潮に人生を乱されなくなることが一番のメリットであろう。
あなたは決して「無精」なんかではない。